神戸芸術工科大学ティーチイン「本はどうなる!」…神戸芸術工科大学

パネラー:鈴木一誌、港千尋、福田和也、戸田ツトム
日時:2011年10月15日(土)13:30〜17:50
会場:神戸芸術工科大学1225教室
http://www.kobe-du.ac.jp/about/access/
聴講無料

パネラー:
鈴木一誌(グラフィックデザイナー)
わたしたちは、<揺らぎ>によって知覚を得ている。
眼球は振動しながら色と形を認め、鼓膜は波長を受けとめる。
触覚もまた凹凸との擦過とともにある。<揺らぎ>は、<途切れ>の感覚である。
途切れた空白を繋ぐとき、わたしたちは生を実感する。本には、ページや行など、
途切れの感覚が集成されている。電子書籍では、途切れの感覚はどうなるのか。

港千尋(写真家・写真評論家)
本をめぐる変化を自然史にたとえれば、
わたしたちは「カンブリア紀の大爆発」に遭遇しているのかもしれない。
アトム基盤の情報とビット形態の情報が、多様な「書物種」を生み出すいっぽうで、死滅した個体が
百万単位で復活する可能性がある。エスプレッソを入れるように
本を造れる時代の、ミームについて考えてみたい。

福田和也(文芸批評家)
緊張は歓迎すべき事態である。文学という「意志」と「才気」以外に何の保障もない、
それがゆえに悲惨であると同時に豪勢な営為に取り組む、選ばれた者たちが、
不断の緊張を強いられるのは当然のことだろう。その緊張の中にしか、
つまり一作、一作が常にその真価を問われるような真剣さの中にしか日本文学の未来は存在しない。
そして批評の役割は、その緊張の果実を厳正に審判することでしかないだろう。ー「作家の値打ち」飛鳥新社2000年よりー

戸田ツトム(グラフィックデザイナー)
現代人は、どれほど自らの意思と眼で事象に触れているだろうか
生活レベルで、我々の視覚情報のほとんどは<メディア>を通して得られ、
それが私たちの知と意識を組み立てている。システムによって得られる意識に「自然観」は
どう生成され得るか?自然災害だった東日本大震災での自然観に関わる議論の貧困に驚く。
そして意識からこそ「本」が生まれる、それがデジタルであっても紙であっても。

司会:
小山明(神戸芸術工科大学図書館長)

■神戸芸術工科大学
http://www.kobe-du.ac.jp/

内容:
時代はさまざまに交錯している
ことばとイメージ即ち、コミュニケーションに関わる環境が
予想通り激しい変貌の最中にある
何のための開発であり進化であろうとするのか…と
問うこともなく、我々の前に<新たな可能性>が毎日紹介される
コンピューターは当初から「本」になることを願った
本と映画をコンピューターの中に収納できたにもかかわらず、
なぜ我々はあらためてコンピューターが「本」と呼ばれることを
夢想し続けるのか…その現在と未来を直視する
(チラシより)

09/27/2011